25日午後1時41分87歳の男性ご利用者様が穏やかなお顔で旅立たれました。
往年は、中学校の校長先生をされてらっしゃいました。
そのため、グループホームあみでの暮らしの中でもほかのご利用者様にも「先生」と呼ばれていて、私たちも「先生」「先生」とお呼びしていました。
4年くらい前に胃がんの手術をされました。さらにパーキンソン病で歩行も困難になりはじめたため、介護されている奥様のお身体も心配とあみに入所されました。
2週間位前から食事があまり進まなくなり、熱発等のため食卓で皆様と一緒にお食事ができなくなってこられました。水頭症やがんなどの影響もあり、徐々にお身体が弱ってこられた様子で、ベッドにて食事介助をさせていただいていました。そのときの先生のご様子は、まるで赤子のような笑顔で失礼ながらとても可愛い坊やになっておられました。
奥様と娘様が手作りのものをお持ちになっては、食べさせてくださっていました。お話も通じてしっかりとご自身の意思表示をされていました。
奥様は日に日に弱っていかれる旦那様を見ては、病院に入院したほうがいいのかもしれないとお気持ちが揺れ動いておられました。
お亡くなりになる前日、看護師やグループホームの管理者もいっしょに今後のことをご相談しておりました。その時に奥様はご本人に「病院へ行くか?」と尋ねられました。ご本人はしっかりと「ここにいたい!」と言われたそうで、奥様もお気持ちが定まって、「ご迷惑をおかけするかもしれませんが最期まであみさんでお願いします」と言われました。
実は、半年ほど前、ご本人が「もう十分生きた!」と言われたそうです。
『先生は生命のしまいかたをご自分で決められていたんだ!』と
管理者は涙ながらに話してくれました。
人として生き切るお姿を見せていただくことが、先生からわたしたちあみの介護職にとっての最後の授業となりました。
今までお勤めになられた学校の前を通って一旦お家へお帰りになり、湯灌で身を清められました。額にしわがなく、穏やかなお顔をしておられると言われたそうです。
この頃は家族葬が多いのですが、先生のお通夜では200名位の方が弔問にみえていました。私たちはお通夜のあと、仰げば尊しを歌い、先生とお別れしました。
告別式では教え子代表が弔辞をのべられていまして、生徒たちを思う先生のお人柄がしのばれました。
先生、本当にありがとうございました。